Pesachでの議論は、子供からお年寄りまで年齢問わず参加できるようです。
敬語による垣根もないので、年関係なく屈託ない意見が言えるのはとても良いなと思いました。
私たちも昨年生まれた従妹のお子さんを迎えて、一緒に歌ったりしながら議論をしました。
彼はもうきらきら星が歌えていて、既に発する音が英語っぽくて感動しました。
議論の内容は、事前に送られてきた叔父さんのメールをテーマに進められます。
今回のテーマは、ざっくりいうと白黒はっきりできないことにどう折り合いをつけるかでした。
お義母さんのご両親はイスラエルからアメリカにやってこられて、
退職後イスラエルに戻られました。なので今もイスラエルにたくさんの親戚がいます。
最近の中東事情、特にイスラエルの他国に対する報復は黒なのか、白なのか、
そもそも「報復」と呼ぶのが良いのか?みたいなことについて延々と話していました。
(でもこのテーマで話したのは全部の議論の3分の1くらい。)
私が感じたのは世代の差。いつも年齢で分けられないとは思っているのですが、
今回はぱっきりと別れて見えたので、残しておきます。
お義母さん、叔父さんの世代は、やっぱり親がイスラエルから来ているからか、
イスラエル容認派。つまり、報復は致し方ないという考え方です。
もじゃさんの世代、叔父さんのお子さんたち、私もここに含まれると思われる世代は、
どちらにも言い分があるから、どちらが悪いとは簡単には言えない。ほとんどグレーです。
そして私たちより一つ下の世代、お義母さんの従弟の子供たち、中高生、大学生は、
そもそもユダヤ教って?神様とか言っているのおかしくない?という根本的否定派でした。
意見が違うもの同士が理解し合うポイントを見つけるのは本当に難しいですが、
私は歴史や伝統を重んじて考える年上世代の意見もとても大切だし、
根本から疑問を投げかける若い世代の意見も興味深いなと思いました。
つまり、グレーです。。。笑
自分の中に物申せるような歴史的知識や考察がないためにグレーのままでいられるのだと
思いますが、これから時間をかけて自分の意見を作っていこうと思いました。
***
その他にも、エジプトからイスラエル人の奴隷たちが逃げる際に、エジプトの王ファラオが
受けた被害をキーワードに現代の課題を想起して議論にするということをしました。
私は牛が当たり、牛→牛乳→国によって食品安全基準って違うけどそれってどうなの?という
話をしたかったのですが、
まず、「私たちの牛乳とアメリカの牛乳は違う。」と言ったところで、
「それってアメリカ人たちが不健康なものばかり食べてるって言いたいの?(直訳・・・)」と
槍のような英語が刺さってきたり、、、
「わからないことがあったらいつでも質問してね」という叔父さんの言葉にかぶせて
「もし、あなたが内容を理解できたらだけど(直訳)」という言葉が降ってきたり・・・
直訳するとかなり厳しい言葉たちの応酬で、心の中では泣いていましたが、
みんな全く悪気はなく、むしろユーモアで言ってくれているので、笑えました。。。
***
全体を通して、こういった宗教的な集まりがあるからこそ、家族の結びつきが強くなるし、
また世代を超えて伝統的な考え方が受け継がれていくんだなぁ。と感じました。
日本に当てはめてみて、自分たちはできてるかな?どうかな?と少し心配になりました。
例えば私たちの祖父の時代、たった2世代前に起きた戦争が、きちんと世代から世代に
語りづがれているかな?その当時の家族の考え方を今共有できているかな?と思いました。
日本人には日本人のやり方があると思うので、単純には比較できませんが、
何千年も前の出来事を当時の言葉で、まるで昨日ののことのように語り継いでいる、
そして現代に当てはめてどうしたらいいか考える練習をしているユダヤ教は、
「文化を残していく」という文脈でものすごい努力をしているんだな、と思いました。
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